グレッグ・イーガンの「ぼくになることを」という小説を読みました。
小さい頃から<宝石>が頭の中へ組み込まれることがあたりまえとなった社会。
<宝石>はあなたの思考パターン、行動パターンを学習し、寸分違わずあなた自身を再現できるように教育されます。
そして人間は脳が衰え始める前に<宝石>へ「スイッチ」し、頭から脳をかきだし、偽の脳を入れ、あなた自身の再現はこれまでの人生の中で教育されてきた<宝石>が担うことになります。
<宝石>は劣化しないので、あなたの存在はほとんど永遠となります。劣化した臓器は入れ替え、ときには体全体を入れ替える必要も出てくるでしょうが、<宝石>は人間の脳のようにボケたりせず、ずっとずっと変わらない。つまり、あなたはずっと、変わらない。
このようなあらすじをよんで、あなたはどう思いますか?
となりにいる大切な人は、昨日とまったく同じその人で、だけど、実はスイッチした、<宝石>にコントロールされているだけの存在だと知ったとき、それはその人自身なのか、それとも<宝石>がいくら完璧なコピーだからといって、その人はもう存在しないのか。
SFなどのギミックとして、サイコパスなどのように、体を乗り換えたりといった話はよく出てきます。
ただ、人間にとって「唯一性」というものは、自分で想像できるよりもはるかに重要なものなのかもしれません。「自分」とはなんなのでしょうか。
ここ最近の流行りでは、自由意志などないということをよく聞きますし、自分なんてものはない派の勢いが強いような気がしますが、どうなんでしょう。魂みたいなものはあるのでしょうか。そもそも魂の唯一性も不明ですが。
自分にとっての現実と、事実・真実との差。自分に見えている世界と、客観的な世界。ビジネスでも、そのようなことを意識しなければ、見逃してしまうものがありそうですね。そんなことを考えた1日でした。
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